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【秘話】幼少期から現在に到るまでの山本義徳氏の経歴とは?

山本義徳氏の幼少期から社会人に至るまでのお話を大公開!今まで知ることができなかった、筋肉・サプリメント博士の異名を持つ”山本義徳”氏の一面を知ることができます。

山本先生の生涯について

幼少期

子供の頃は身体が弱かった。ガリ勉のような感じで、母親は教育熱心、家に帰って勉強。

外にで出てそこそこは遊んだりするが、どちらかというと一人で本を読むことが多く、少し暗い感じの幼少期だった。また、運動には全く興味がなかった

小〜高校時代

小学校の4年生くらいの時に、
学校の放課後に部活動をしなくてはならなくなり担任の先生が「陸上」か「鼓笛隊」にはいるか、選ぶように言ってきた。鼓笛隊は少し嫌だなと思い、陸上をやることにした

それまでろくに運動してこなかったが、
陸上を始めて体力もついてきて運動が面白いなと思うようになった。

高校の時にスクールウォーズというドラマがあり感化された。出身の静岡県では陸上とサッカーが有名なため、ラグビーなら上にいけるのではないかと思い高校ではラグビー部に。

しかし、みんな同じことを考えていて部員がすごく多かった。その中でもなんとかレギュラーになることができ、ラグビーをやりながらその補強でバーベルを握るようになった。

ウエイトトレーニングが面白いなと思うようになり、高校のあたりからウエイトトレーニング、ほとんどベンチプレスばかりだが始めるようになった。

小学生の時に鼓笛隊を選んでいたら今とは全く違う人生だったかもしれない。

当時からプログラムを自分で組んでいた

丁度、ベンチプレスを始めた頃に書店で『月間ボディビルディング』を見かけた。

買うのが恥ずかしくて立ち読みしたが、それで内容を全部覚えてしまった。「トレーニングはこうするのがいいんだ」というようなことを覚えて、帰ってから自分で色々書き出し、プログラムを組んだりした。

高校の時からちゃんとしたトレーニングプログラムを組んでいて、「ベンチプレスはこの週は何キロ」というかたちで理論的に行っていた。

大学時代

政治経済学部に通っていたが、それほど出席も必要なかったので週に1回しか行かなかった。運が良く、自分が大学2年生と4年生の時に学費の値上げのストライキがあった。それでテストが全てレポートになり、そのおかげで卒業することができた。

週一回しか学校に行かないでないをやっていたかというと、
スポーツクラブでのバイトをしていた。その時に当時は珍しい、45レッグプレスや53キロのダンベル、プレートも50kgまであった。そこで、どんどんトレーニングにハマり大学時代はずっとそこでバイトしてトレーニングしてという感じだった。

社会人時代

大学でトレーニングに目覚めて、卒業してからもトレーニングは続けたかったが社会人ということもあり続けられなかった。

就職したのが、桜木町にある会社だったが当時世田谷に住んでいたので満員電車で通うのが本当にきつかった。やめたいと思っていたがそれを、後押ししたのが人事部での仕事。

人事の仕事をしていると、全体の給料がわかるので「30年働けばこれくらいの給料だ」ということがわかり、これはサラリーマンをやっていられないな、と思い半年でやめた。

その後、アメリカへ。ボディビルの本場といえばアメリカ、ロサンゼルス。とりあえず行ってみれば何か得るものがあるんじゃないかと思い行った。アメリカにいって向こうで仕事を見つけようと思ったが、一週間だけいって向こうの様子をみて、帰ってお金を貯めてからまた来ようと考えた。

しかし、一回帰った際にジムで働かないかと声をかけられ、結局アメリカに戻ることなく日本のジムでトレーナーをすることになった。

記事監修者 情報

山本 義徳(やまもと よしのり)

静岡県出身の日本のボディビルダー、トレーニング指導者。
プロ野球選手のダルビッシュ有や松坂大輔などをはじめ、多くのクライアントを指導している。
2019年4月から投稿を始めたYouTubeチャンネル『山本義徳【筋トレプログラム】』を開設。

一般社団法人 パーソナルトレーナー協会 理事

【主な著書】
・ウェイトトレーニングー実践編ー
・ウェイトトレーニングー理論編ー
・アスリートのための最新栄養学(上)(下)

【SNS】
twitter▶︎https://twitter.com/Yoshinori_TV
Instagram▶︎https://www.instagram.com/yoshinori_program/?hl=ja

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